語り手の掃き溜め

日々感じたことを綴っていくブログ

一歩踏み出せないそんなとき

今に不満をもちつつも変われないわたし

 あれがしたい、これがしたい、働きたくない、好きなことしていたい、今を変えたい。

そんなことを日常的に考えつつも、結局なにもせずに今のままでいることを選んでしまっている現状。

 

 どうすれば変われるキッカケをつくれるのだろうか。考えてみた。

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  • 今に不満をもちつつも変われないわたし
  • 何故変わりたいのか?を知るべき
    • 今のままじゃダメなのか
    • 人がエンストを起こし失敗する3つの原因
  • それでも変わる事を選択したあなたへ

 

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やりたいことが分からないのですが・・・

起床→出勤→残業→退勤→睡眠、休日:睡眠

 浪費ばかりの日常で日々気疲れ、何もすることがないからいつもの日常を送るしかないそんな日々。

 うーんと思いながらも、何してるんだろうなと思いながらも、やはり今日も起きて電車に揺られ、真夜中に家に帰りコンビニで買った弁当を独りで食べて、深夜1時に寝る生活。

 

 どうしてこんな生活を送り続けてしまうのか。

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  • 起床→出勤→残業→退勤→睡眠、休日:睡眠
  • 迷走する生活
  • 可能性を模索
  • 高校の優秀な友人
  • 気付かされた現状
  • この先

 

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好きなことで生きるということ

 今の世の中、脱サラ, 不労所得, ラクに生きていきたいっていう流れが出来てきましたよね。

 好きなことで生きていく。この言葉を聞くとたいていの人は、遊んで暮らしたいのかな?なにか趣味に没頭しているのかな?とか、どちらかというと世間的にはあまり喜ばれないことをイメージする人が多いです。

 しかし、『好きなこと=遊びや趣味』だなんて関係が成り立つなんてどこにも書いてないし、誰もそうだと決めつけていません。

なのになぜ好きなことで生きていきたいと言えば、そのようなことをイメージしがちなのだろうか。

 

好きなことで生きていく。これってどういうこと?と思い記事にしてみました。

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『働くこと』=『自分の能力の限界値』

 働くというのは、雇用主に雇われ、労働者として雇用主に貢献し、その対価として給与、つまりお金をもらうこと。自分はそう解釈しています。

つまり、雇用主は、この労働者に対して、これをしてくれるだけの能力があると判断してあなたを雇います。つまりそれはあなたが出来る事が何かということに直結します。

 

 人とのコミュニケーションが得意なので営業や広報ができる。大学で数学を専攻していたのでデータ分析等の解析ができる。などの自分ができることを活かして、就活や転職活動をして仕事を探します。

 

また、労働者自身も、自分の能力に見合った対価を貰える雇用主のところを選びたがります。

つまり、働くことは、自分のできることとそれに見合った対価を貰える場所に貢献すること。

言い換えれば、働くことは、自分の能力を理解し、それに見合う報酬の最大値はどこなのか、つまり自分の能力の限界値はお金で言う所の何円に相当するのかを知ること、ということになります。

 

人それぞれの好きなこと

 好きなことで生きていくと言ったって、実際その好きなことが、あなたと私で違うということは誰でも明白な事です。だのに、好きなことで生きる=遊んでお金をもらって生きることに、みんなの意識がなぜかすり替わってしまう。

 

なぜか?

それは、生きていく=お金を稼ぐ=働いて能力に見合った対価を貰うという関係性が必ずしもすべてにおいて成り立ってないということだと考えられます。

つまり、生きていく=お金を稼ぐ≠働いて能力に見合った対価を貰う

言い換えれば、生きていく=お金を稼ぐ=働いて自分の能力に見合っていない評価をされ満足のいかない対価しか貰えない

ということ。

 

どういうことか。

 

単純。誰しも自分の能力に見合った対価を貰えてない。自分の能力を正当に評価されていない。そんな雇用主に雇われてしまっているということです。

 ですから、次第に、好きなことで生きる=ラクに自分の能力が発揮でき評価され対価を貰う、という図式にすり替わり、普段の労働では自分の能力を評価してもらえない事から、ラクに自分の能力が発揮できること=遊びや趣味、にすげ変わるということになり、それゆえに

 

好きなことで生きる=遊んで暮らせる

という桃源郷の様な関係性が想起されてしまうのだと考えられます。

 

自分にとって好きなこと

 自分は学ぶことが好きで、新しい事を知ったり発見したりする喜びというものに惹かれました。なので、将来的には研究者に身を進め、准教授、教授となり、自分の興味のある研究分野を生涯かけて追及していきたい。と、よく妄想します。

しかし、世間の研究者の立場は弱く、イメージとしても、好きなことできてるんだから所得が低くて当然。芸術家・学者は貧乏たれという精神。

 

 はたして、そうなのでしょうか?

 

研究者は確かに好きなことして生きています。研究者も好きなことができてうれしいという方が多いです。

しかし、かといって、好きなことが出来ているのだから、あなたの研究に対する対価は少なくてもいいよね?というのはおかしい。そう思います。

 

 研究者たちの研究が今の世の中の科学技術の礎となっているのは言うまでもなく、偉大な科学者たちが残した多くの偉業は、その科学者ひとりの力でなく、今まで培われてきた平平凡凡な才でありながらも研究に打ち込んできた多くの研究者たちの研究によって、成し遂げられていきました。

 

我々は巨人の肩の上にいる事で、より遠くを見る事が出来る。それが科学である。

 

 多くの研究によって実を結び、今の世の中に還元されていった科学を探求する者たちが、好きなことをしているからという理由で、人として最低限の営みや、人として最低限の幸せを望むことが難しいほどの対価しか貰えないというのは、非常に嘆かわしい事です。

 

 世の中には、研究者の様に、能力があるのに正当な評価を受けられていない者たちが沢山います。しかも、研究者の様に好きなことが出来ているならばまだしも、そういうわけでもないし、自分の能力に見合った見返りももらえないという人が腐るほどいます。

そういった人たちがいるから、好きなことで生きていくことに対するイメージは良く思われないのです。

 

だからなんだ、好きなことで生きることの何が悪い

 いや、てか、好きなことして生きてるに対してじゃなくて、ラクなことして生きているってことに対しての反感だろ、それ。って思うわけです。

 好きなことで生きる事が遊びや趣味で生きることってわけじゃないとさんざん言っているわけです。

 

 自分が思うに、誰が思うに、好きなことで生きていければ誰しも幸せなはずです。

だれも嫌いなことして生きたくないです。反感を買うのはただ単に自分と同じ苦労をしろと強いたがる、嫉妬なわけですよね。

 

なら気にする必要ありません。

 

好きなことして生きるというのは、つまり、自分の限界値をリセットし新たな自分をまた作っていくことになります。

好きなことで生きていく場所は、自分の能力を過小なりとも評価してくれていた場所ではなくなり、一からその評価を積み上げて自分の居場所を見つけ出さなければいけません。

それだけのことをするのですから、好きなことで生きていく人たちは、必ずなにかしら強い意志を持って、人生を歩んでいます。

 

好きなことで生きていくことを決めた人は、そういう人を嘲笑する人、侮蔑する人よりも、自分に正直になれる強い自分をもってる人なのです。

 

まわりの評価は好きなことで生きているあなたにとっては、場外からのヤジに等しいわけです。気にするだけバカバカしいのはいうまでもないですよね。

 

 

以上、語り手でした。

論理的思考のすゝめ

論理的思考力=人間力

 論理的思考力、自分のイメージとしては、数学や物理の問題を解くうえでなくてはならない能力で、自分には全く関係ないのスキルだなと思っていましたが、最近になって、いや、論理的思考力が身に付けば人としての幅が広がるんじゃないのか・・・?と気づき始めました。

 

 なので、今回は、論理的思考力を身に付けるにはどうするべきか、そもそも論理的思考力って何のために必要なのかどうして必要なのか考えていこうと思います。

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  • 論理的思考力=人間力
  • 論理的思考力、それは世渡りに必要な技能
    • 論理的思考力が生み出す3つの利点
      • ・物事に法則を見出す
      • ・物事を場合分けし推論を立てられる
      • ・物事に批判的に向かい合える
    • 論理的思考力を身に付けるには
      •  ・数学や現代文を学ぶ
      • ・言葉遊び
  • 総括

 

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